格闘技で教育するという事

格闘技で教育するという事

2月から始めたコンペティションクラス。
このクラスは、試合に強くなりたい・心身を強くしたい、という人向けに、近くの他道場と合同で行っているもの。
しっかりと集中してもらうため、また、着実に強くなってもらうため、「私語禁止」「弱音禁止」など、12箇条の約束事を設けた。
個人的には『多少厳しいかな』と思ったが、道場生たちはきちんと守っていい練習をしている。
こういった事も教育の一つだと実感した。

武道と武術
空手は武道であり武術(格闘技)でもある。
武道は“闘う”相手が自分であり、武術は“戦う”相手が他人。
武道と呼ばれる空手や柔道、剣道などには必ず型(形)という稽古があり、決められた動作を自分自身と闘いながら極限まで高める。
武術(格闘技)は相手と戦いながらその格闘術を高めていく。
そして空手はその両面を持っている。
武道としての空手は大いに結構だが、格闘技としての空手には個人的にわずかながら葛藤がある。
格闘技は相手と戦う。戦うということは相手を痛めつけるという面があり、相手がダウンすることを常に狙う。
例えば、フルコンタクト空手の試合では子供でも激しく打ち合うが、この最中に相手選手がちょっとでも痛がる素振りを見せたら、自陣のセコンドから「効いたぞ!そこ狙え!」と声をかけ、実際に選手はそこを攻撃して勝ちを狙う。
大人はいいとして、子供にこの行為をさせるというところにちょっとだけ葛藤。
子供には教育として空手を指導しているのだが、『子供が格闘技で人を思いやる心を醸成できるのか』という葛藤。
さて、どうしたものかと考えた。型好きな子であればそれを伸ばして教育する方法はあるが、型が苦手で組手が好きな子に対して、どう教育していくか…。
ふと気づいた。格闘技には格闘技ならではの教育材料もある、と。

格闘技ならではの教育材料
格闘技の練習は、ミット練習にしてもスパー(組手)にしても、相手がいなければ実戦的な練習は成立しない。
格闘技を通して仲間を労わる気持ちや相手に感謝する心、努力の大切さ、などに焦点を当てた指導で教育ができる。
これは当たり前ではあるが、再認識。“礼”をもう一度道場生たちとやり直そう。
組手の始まりと終わりには必ず「押忍」を言うが、「押忍、お願いします」「押忍、ありがとうございました」まで言うようにしよう。
きちんと言葉で、「組手は練習仲間がいないとできない。『一緒に練習してくれてありがとう』という気持ちを持とう」と伝えよう。
格闘技だからこその教育。武道・武術教育を目指して。

<道場生Tの今日の練習を休む連絡>
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はい、勉強のしすぎっすよ。多分あまりしてないだろうけど。