すっかり春。桜と菜の花のコントラストで有名な宮崎県西都市の西都原の桜は、ただいま5分咲きとのこと。
そして3月末は別れの季節でもある。
君去春山誰共遊(君が去ってしまったら春の山を誰と遊べばいいというのか)
~中略~
他日相思来水頭(何時の日か互いに思い出したなら、この川のほとりに来てください)
そんな漢詩が似合う季節ですな。なんちゃって。
ある慎重な男の子
Y君はこの4月から小学6年生になる男児。小学4年生時の2022年9月17日に闘気塾に入門し、小学5年生最後の2024年3月28日まで当道場に在籍した。
Y君はもともと関東出身の子で、当時喘息を患っていたらしい。お父さんの実家のある宮崎県西都市に帰省した時だけ症状が出なかったので、お母さんと弟と一緒に思い切って西都市に引っ越し、心身を強くする目的で闘気塾の門を叩いた。
入門時、Y君のお母さんはY君を評して「石橋を叩いても叩いても、それでも渡らないような子」と話した。それほど慎重で内気な子だったようだ。
実際、当道場に来た時のY君は、不安いっぱいな様子であった(入門時は誰でもそうであるが)。
そんなY君だったので、私もY君に優しく接し、まずは安心して空手を楽しんでもらうことを心掛けた。
私がY君に関して最初に驚かされたのは2022年10月頃だった。それは、友好道場である恵誠会の合宿にY君が参加すると言ってきたことだった。
成長のきっかけ
恵誠会の合宿は、親元から離れ、知らない子達と一宿三飯を共にしながら、キツい練習をこなすというもの。
当道場から他に3~4人ほどが参加するとはいえ、その3~4人はベテラン勢。ベテラン勢は恵誠会の子達とは仲が良いが、Y君は全く知らない状態での参加。
慎重なY君がそんな合宿に参加するとは思わず、大変驚かされた。
しかし、本当に驚かされたのはこの後だった。それからのY君が見違えるように成長したのである。
それまではなんとなくやっていたような稽古も真剣さが増し、組手稽古も積極的に取り組むようになった。
合宿から約二ヶ月後、ある組手大会の余興で相撲が行われ、Y君は組手の試合には出なかったものの相撲部門に出場した。
余興とはいえ、Y君にとっては初の舞台。私は『Yはまだまだ体ができていないし、一回戦で投げ飛ばされるかも。まぁ余興だしいいか』という気持ちだった。
ところが、意外に勝負強さを発揮。ふたを開けてみると準優勝か三位だった(記憶があいまい)。
頼もしい男に成長
Y君の初めての空手の試合はそれから約半年後だった。
Y君は激しく緊張していたので、私もどんな試合になるか全く予想がつかなかった。
試合開始時、Y君は自分から後ろに下がってしまった上に、相手は体も大きくなかなか強い選手。
私は『ダメか…』と一瞬思ったが、そこからY君は盛り返した。スイッチが入ったかのように“負けないぞ”というすごい形相で突きを打ち返していき、時には相手を下がらせる場面もあった。
健闘及ばず、結果は判定負けであった。Y君は初試合で敗北し、声を挙げ、床を拳で叩きながら泣いた。保育園に通う弟くんがそっと側に寄り添う姿が印象的であった(トップの写真)。
2023年9月、Y君2回目の恵誠会の合宿。もうこの時にはY君は頼もしい男に変貌していた。
合宿での練習試合は、闘気塾対恵誠会で対戦。
そしてこの日最終試合はY君。それまでの練習試合で闘気塾のメンバーは全員が敗北していた。
相手は格上。しかし、Y君を見るとやる気満々な表情。あまりにやる気に溢れすぎて、オラオラな感じ、かつ、ノーガードで相手に近づき、審判をしていた私は内心『えーーーー!』という感じだった。
本戦は引き分け、結果は延長戦に。
最後は気持ちの勝負となったが、Y君は最後まで“負けないぞ精神”で立ち向かい、判定勝ちをおさめた。
私はY君に「やる気満々だったみたいだけど、どういう気持ちだったのか」を聞いたところ、Y君は「それまで仲間が負けていたので、僕が勝たないとという気持ちだった」とのこと。
なんと頼もしい男になったものか。
Y君の努力が報われたのは、2023年11月、自主開催の小さい大会でのこと。
型部門の優勝者にはドラえもんの盾が贈られることを知ったY君は、ひそかに『絶対獲る!』と意気込んだ。
型を何度も確認し、臨んだ本戦。きれいな型を披露し、見事に優勝。目標だった盾を獲得した。
ワンマッチ組手部門でも格上の相手を退け、勝利。
Y君は、技術的・身体的にはまだまだ未熟であるものの、気持ちを全面に出して努力を惜しまないスタイルがもう定着していた。
また会う日まで
そんなY君は、3月末をもって関東に戻ることになり、闘気塾を卒業ということになった。
宮崎に来た理由だった喘息も、最近ではすっかり治っているようだ。本当によかった。
武道の指導者は、子供たちが武道を通して成長しているか、どれくらい成長しているか、が気になる。
だからこそ礼儀礼節を重視するし、だからこそ努力や痛みに負けない気持ちを促す。
時には厳しいことを言うこともある(私はあまりないが)し、ツラい・痛いと分かっている練習をあえてさせることもある。その時の指導者は、心を鬼にして自分も共に乗り越えるつもりでそれを課す。
Y君は、時に歯を食いしばりながら、時に涙を流しながら、それらを仲間や指導者と一緒に乗り越えてきた。いや、先頭に立って乗り越えてきた。
その結果、たった1年半で見違えるような成長を見せてくれた自慢の道場生であり、自慢の仲間だ。
もちろん私は、『いつまでもその姿を見ていたい』、『もっと闘気塾で成長してほしい』と願う。それは叶わないと分かっているが、そう願わずにはいられない。
Y君がこれからどういう人生を歩むのか分からないが、たまに西都市に帰省してきた時には顔を出してくれるだろう。
その時には仲間みんなで、満面の笑顔で迎えたいと思う。
いつの日か思い出したなら、この道場に来てください。
Y君、また会うその日まで元気で。