ダラばな:優しさとは。強さとは。

ダラばな:優しさとは。強さとは。

ある小学6年生女子の道場生Aが、学校で同級生に意地悪なことを言われたらしい。
習い事の本を持っていた時、その同級生が「はよ辞めろ」と言ってきたとのこと。
Aは言い返すのを我慢し、悔しいから“心を強くしたい”とキツい練習であるコンペティションクラスに初参加してきた。

Aはもともと内気な子なので、言い返すのを我慢したというより“言い返せなかった”のだと思う。
私はそんなAをとても尊敬し、自慢の道場生だと思う。
正直、Aが激怒すればその同級生を吹き飛ばすことは、赤子の手をひねるが如くだろう。
しかし、Aはそんな粗暴な子ではない。
言い返せなかったとしても、最終的にAが選択したのは“自分の心を強くする”だった。
酷いことを言われても歯を食いしばって耐え、あえて激しい練習に参加し、自分に厳しくした。酷い言葉に負けない強さを求めたのだ。
なんと優しいことだろうか。なんと強いことだろうか。
Aにとって同級生を吹き飛ばすことは簡単だと思うし、落ち込んで家に引きこもることも簡単だと思う。
それをせず、我慢した上で自分に強さを求めるとは、なんと優しく強いことだろうか。

酷い言葉を投げた同級生は私も知っている子なので、そこは非常に残念に思う。何がその子をそうさせてしまったのか、考えざるを得ない。
しかし、自分の道場生が最悪の選択をせず、優しさと強さを見せたのは安堵すると同時に尊敬する。

優しさとは何だろうか。強さとは何だろうか。
答えは分からないが、Aの選択した行動は優しさ強さの一つの形だと個人的に思う。