1回で終わるかと思われたコーナー“指導者あるある”。意外にも2回目がやってきました。しかし、2回ですでにネタ切れだという事実は国家機密です。
今回の指導者あるあるは、指導者自身の練習時間について。
指導者は練習時間の確保が困難
これはいつかの記事で触れたが、指導者は自分自身の練習時間を確保するのが結構難しい。表現を変えると、意識してその時間を確保しないと指導者自身の練習はできない。それはなぜかというと、稽古中は指導にかかりっきりだから。至極当然の話。
自分の練習時間が確保できずにいる指導者は結構いる。そのため、武道やスポーツの指導者というわりには、似合わない体型(有り体に言えば肥満体)の人がわりといるし、話を聞くと健康を害している人もわりといる。どの指導者も若い頃はハードに動いてきたはずだが、指導者という立場になった途端に身体が変わっていく。
指導者も練習すればいいのでは?そんな声が聞こえてきそうだが、これが難しい。
前回の“指導者あるある:稽古の適切性”で述べたが、指導者は稽古(レッスン)が適切かどうか、所属する人たちが安全に楽しめているか、を気にしている。ゆえに、所属する人たちが練習している間は、常に見ている。見ていなければ気が済まないと言ってもいい。
所属する人たちが少人数の時はまだいい。隙を見て自分も練習に入れば少しは練習できる。あくまで私の感覚だが、大人子ども合わせて10人程度であれば、少しは自分も練習に入る余地がある。だが、これ以上になると、もうできない。
指導員を育成し、その指導員と交代で練習を見ながら自分の練習時間を持つこともできるだろう。しかしこれも時間がかかるし、所属する人たちの人数が多ければそれだけ練習を見る人も数も増やさなければならない。見る対象が子どもであればなおさらのこと。結果、また自分の練習時間がなくなっていく。
そんな感じで、指導者は自分の練習時間があまりないのだ。
コツコツとでも稽古をする
で、私はどのように対策しているかというと、通常の稽古とは別に自分の練習時間を確保している。または、クラスの人数が少ない時は自分も一緒に練習するようにしている。
通常の稽古の後に20~30分ほど自分の練習時間を作り、指導員とともに練習する。本当はもう少し練習したいが、時間制限があるので仕方がない。
クラスの人数が少ない時は、大人も子どもも混じって組手練習をし、そこに私も加わるようにしている。子どもの相手をするため練習強度は低いが、動こうと思えば動けるような時間だ。
そんな風にして、可能な限り自分の練習時間を確保するようにしている。
指導者がその競技を指導するからには、自らも動いて模範を示すことが必要ではないかと思っている。もちろん、ある程度の年齢になれば身体的にできないことも増えてくるだろう。反射神経は鈍り、スピードや柔軟性も衰える。結果、若い人と稽古すれば無様な姿をさらすことになるかもしれない。でも、それでもいいのではないかと思っている。それで尊敬を失うことはない。
闘気塾の会長は現在75歳。今でも若手を相手に組手をする。フットワークは軽いし、脚は上段(頭部)まで上がる。そして驚くことに、いまだに老眼はない。
会長の姿は、“コツコツとでも稽古を続ければ健康な心身は保てる”という証拠だろう。


