沖縄訪問記②

沖縄訪問記②

沖縄の動物たちは実にフレンドリーだった。首里城の池でたむろしていた七面鳥か大きい鴨のような鳥(あとで調べたら“バリケン”という鳥らしい)や中城城にいたヤモリのような爬虫類。どれも日本本島では見かけないような動物だったが、私が近づいても逃げない。実にフレンドリーで平和的だ。沖縄の人達は、琉球と呼ばれていた古来より平和を愛する国民性だった(※)らしいが、それは動物たちもそうなのかもしれない、なんて考えた。(※もちろん沖縄でも琉球と呼ばれていた時代には戦争などがあったが)
そして、日本本島とは違う生態系と植生があることに、沖縄の独自性を垣間見た気がした。

平和祈念公園
沖縄を訪れて3日目(最終日)、レンタカーを借りた私は一路、県南部に向かった。目的地は平和祈念公園だ。
県南部は沖縄戦の最激戦地。ここに平和祈念公園があり、公園内には資料館や平和祈念堂、そして沖縄戦で亡くなった方たちの氏名が刻まれた碑「平和の礎」がある。日米問わず、そして軍・民問わず、多くの方々が亡くなった沖縄戦。今なお続く基地問題のもととなった沖縄戦。テキストだけでは知り得ないことを学びに、私はここを訪ねた。
平日にもかかわらず、資料館には多くの人が訪れていた。修学旅行生や一般の観光客、米国人らしき人達の団体など。どの人も一様に、真剣に資料や映像を観ているのが印象的だった。

沖縄戦の死者数は日米合わせて約20万人。うち、沖縄県人(軍・民)は約12万人。民間人だけでも約9万4千人以上が亡くなっている。当時の沖縄県の人口が約40万人であったことを考えると、とんでもない死者数だ。
米軍の激しい艦砲射撃は「鉄の暴風」と表現され、地形が変わるほどにまで砲弾を撃ち込まれた。ガマ(洞窟)に立てこもる日本軍や民間人は容赦なく火炎放射で焼き尽くされた。
“米軍の捕虜になると惨殺される”ことを吹き込まれていた民間人は、集団自決をしたり竹槍で米兵に向かっていったりしたらしい。中には、乳飲み子を背負った女性が竹槍で突っ込む例もあったとのこと。武器を持って向かっていくので当然殺された。
資料館にはそのような資料がたくさんあった。戦争に至った背景から始まり、米軍の侵攻、壮絶な戦闘、民間人の悲惨な状況、殺された民間人の死体写真、戦争の終結から沖縄の本土復帰、現在の基地問題までだ。

兄3人を亡くした祖母
沖縄戦で亡くなった方たちの氏名が刻まれた碑「平和の礎」にも立ち寄る。
私は若い頃、戦時は小学生だった祖母の当時の記憶を聞くことが度々あった。中でも印象に残っているのは、兄を亡くした時の話。
私の祖母は、兄3人を戦争で亡くしている。
子供の頃の祖母がある日、姉と一緒に学校から帰っていると、村の役人のような人から一番下の兄の戦死を告げられた。役人は今から祖母宅に向かい、母親に知らせに行くところだという。兄の戦死を知らされ、子どもの頃の祖母と姉が泣きながら家に帰ると、母親が呆然と座っていた。息子2人を戦争で亡くし、今またさらに3人目の息子を亡くしたことを知った母親はこうつぶやいた。
「もう…涙も出らん」
息子3人を戦争で亡くした母親の心情はいかばかりか。涙が枯れるほどの絶望を味わいながら、それでも残された小さな子供達のために強く生きねばならない当時の状況は、現代に生きる私には想像しえないものだ。

今は亡き祖母の兄たちの名前や死去地を知らない私は、「平和の礎」の刻名者検索システムで宮崎県出身者と祖母の姓を探した。結果、その姓の人はたくさんいた。システムで示された場所に向かい、碑の前に立つ。
「もしかしたら、いずれかの名前が祖母の兄たちの名前かもしれない」と思いながらその箇所の写真を撮り、平和祈念公園をあとにした。

平和祈念公園から車でほど近くの“おきなわワールド”に立ち寄り、“玉泉洞”という鍾乳洞を観覧した。そしておきなわワールドで昼食を済ませ、北上して“沖縄空手会館”を訪ねた。

沖縄といえば、空手発祥の地
闘気塾の空手は“フルコンタクト空手”であり、純粋な沖縄空手や伝統的な空手とは全く違う形態になっている。とはいえ、ルーツをたどれば沖縄空手に行き着くことは間違いない。空手を学ぶ者として、沖縄空手会館に行かないわけにはいかない。
沖縄空手会館は小高い丘の上にあった。駐車場に車を停め、正面玄関から入る。中には部屋がいくつかあり、古くから修行する者が使う鍛錬器具(サーシ、チーシ、カーミなど)や正拳を打ち込む板などを置いている部屋もあった。中央には広い練習場もあり、空手以外でも使用されるようだった。
資料室もあり、沖縄空手の歴史や古武術の歴史、映像などが展示されていた。資料室の中央部には、鍛錬器具を体験できるスペースもあり、もちろん私も体験した。
資料室には先人たちの名言を記したパネルがあり、空手を修行する者としてどれも考えさせられるものだった。特に印象に残った言葉を紹介したい。

「長年修行して体得した空手道の技が生涯を通して無駄になれば、空手修行の目的が達せられたと心得よ」

これは、明治初期から昭和初期の空手家・喜屋武朝徳氏の言葉らしい。空手修行が、戦うためにあるのではなく自分を律するためにあることを如実に表現した言葉で、非常に感銘を受けた。
他にも、宮城長順氏の「人に打たれず、人を打たず、事なきを基とするなり」という言葉もあった。
そして中央には船越義珍氏の「空手に先手なし」という言葉が堂々と表記されていた。
「空手に先手なし」という言葉は、『空手は先に手を出さない』という意味ではなく、むやみに空手の技を使うことを戒めた言葉らしい。
これら先人の言葉は平和的なものが多い印象。やはり沖縄の人達は平和を愛する国民性・県民性なのだろう。

守るべき沖縄
豊かな動植物、独自の文化・慣習、平和的な人たち。今回の沖縄訪問では改めてそんなことを勉強させてもらった。
沖縄は過去、戦乱に巻き込まれ、強制を受けてきた歴史がある。そして今もなお、解決の糸口が一向に見えない基地問題もある。中国や台湾、東南アジア諸国に近く、将来、軍事的な脅威にさらされる可能性もある。
素晴らしい沖縄の地をいかにして守るか。諸問題を他人事と捉えず、我が身のこととして考えていくことが、日本全体には求められている。

あ、話はまったく違うが、闘気塾日記はこの投稿で記念すべき200回目(数え間違えてなければ)。
しょっちゅう「ネタ切れ」と言いながら、よく続いていることで。
おめでとう。ありがとう。