世界中7千万(ウソ)の闘気塾日記ファンのみなさんは、空手には2種類の試合があることをご存知だろうか。
それは、型と組手だ。
型というのは、決まった形・挙動を決まった手順で表現していく。組手は対人稽古であり、相手と実際に攻防して技を出し合う。
型という種目
型の試合は観たことがあるだろうか。観たことがない方は、ぜひ観てほしい。できれば生で。
もちろんYouTubeでも観られるのだが、型の試合はその場の独特な空気感がある、上級者が深淵な型を打つ際のあの水を打ったような静けさはまさに別世界。会場全体がその別世界に引き込まれるような感覚だ。
型というのは、敵と戦っている姿を形にしたものだが、本当に戦っている相手は“自分自身”だ(知らんけど)。
型の稽古は実に地味で、同じことを何百回何千回何万回と繰り返さなければならない。傍から見れば運動量はそれほど高くないように見えるが、実は本気の型を一回やるだけでとても疲れる。型は全身の鍛錬でもあり、筋肉を多用するからだ。
そんな型を際限なく繰り返し練習し、疲れてもめんどくさくても自分自身と闘い続けなければならないという地味さ。それが型だ。しかしその先にあるものが、上記の“別世界”なのだ。
組手という種目
組手は、上述の通り実際に他人と技を出し合って攻防する。伝統系空手で言えば、スピード感ある攻防を寸止めで行い、フルコンタクト空手で言えば、顔面への突きはないものの、実際に技を体に当てる組手になる。
組手の試合となると、型の深淵さとは違い、攻防する度に周りが白熱し、選手同士も勝利に向かって闘志をむき出しにする。
それだけに、勝利するとなんでも許されるような感覚になるほど嬉しい。それが組手の試合だ。
言い得て妙
ある時、親交のある道場の先生が面白いことをおっしゃった。
「空手には型と組手という2つの試合がある。これは他の武道にはないことで、言うなればフィギュアスケートとスピードスケートを一緒にやるようなもの」
なるほど、言い得て妙だ。たしかに、型は“表現”、組手は“強さ”という全く違う評価軸の試合が、同じ空手として存在しているのは不思議。
空手に型と組手があることの利点がある。
上述のように、型は地味で子どもにとっては繰り返し行うことが難しい種目だ。結果、型があまり好きではないという子も結構いる。そんな子は大体組手が好きになる。また逆も然りで、組手がどうしても苦手という子が型好きになるケースも多々ある。
このように、いろんなタイプの人が取り組めるという利点があるのも、空手のいいところだと思う。
どちらも空手道
いつかの闘気塾日記で書いたが、型クラスで型練習ばかりやっていた時、女子高校生指導員が冗談半分でこんなことを言った。
「型、飽きた。型練習の間に組手を挟んでくれたら、いくらでも型練習できる」
どちらもれっきとした空手の種目であり、闘気塾でもどちらも大事にしている。得手不得手はあるだろうが、全部含めて“空手道”として探求していこう。


