飛行機の窓から見る沖縄の海は、意外なほど穏やかだった。
海岸に優しく寄せる小さな白い波。風を受けながらゆらゆらと揺れるボートとそれを楽しむ人。
初めて見る沖縄の景色は、平和そのものだった。
私は、空手を修行する者として空手発祥の地・沖縄の文化や歴史、そして基地問題に興味を抱き、2021年ごろにテキストを購入して勉強したことがあった。それからずっと『いつかは沖縄に行ってみたい』と思っていたが、今回、格闘技仲間の試合が沖縄であり、その応援を主目的に2025年4月19~21日の日程で沖縄を訪れることにした。
大きな空港とソーキそば
2025年4月19日、私は那覇空港に降り立った。沖縄の最初の印象は、『空港がかなり大きい』。案の定、着陸した飛行機はしばらく滑走路を走行した。
那覇空港の面積は490ヘクタール(※)で、宮崎空港の3倍弱。年間利用者数は約2,100万人(※)で、宮崎空港の6.5倍。大きいはずだ。※引用:Wikipedia
航空自衛隊の基地が併設されているので、なおさら大きく見える。
飛行機を降り、駐機場からターミナルまでバスで移動し、空港から那覇市街地を通る“ゆいレール”で那覇市中心部まで移動した。
昼頃、路地の小さな食堂の「沖縄そば」という看板が目に入り、入ろうかと思案していたら、常連客と思しきおじさんが「キムチそばが有名ですよ」と私に言いながら先に店に入った。あとに続いて入った私。注文は「ソーキそば」だ。おじさんのおすすめを無視する形で、一食目から沖縄名物を堪能した。
ホテルに荷物を預けた後、首里城に向かった。首里城は2019年の火災で正殿が消失。現在復元作業が進められ、2026年秋に完成予定とのこと。
それにしても沖縄は暑い。たった一日で痛いくらい日焼けした。
火照りを冷まそうと夜には沖縄料理と泡盛を楽しみ、翌日には世界遺産の中城城跡と勝連城跡を歩き、その後、格闘技仲間の応援に向かった。
大会は、米軍の嘉手納基地がある沖縄市(県中部)の中心部で行われたが、試合の模様はまた別記事にしたいと思う。
異世界・沖縄市
沖縄市に入った際、昼食場所を探すため多少さまよいながら運転したため、街の様子なども見ることができた。
街の様子を一言で言うと、うら寂し気な異世界。街のあちこちにタトゥーの店が点在し、飲食店も英語表記の店が多い。中央パークアベニューと言われるところも通ったが、人がいない上にほとんどシャッターが閉まっていて、まるでゴーストタウンのような様相を呈しており、異世界に飛び込んだような感覚に襲われた。
街を走る車は日本車が多いが、ナンバープレートを見ると、通常ひらがなの部分がアルファベットになっている車が多数あった。理由はすぐにわかった。米軍関係者が乗る車だ。そういった光景も、日本本島とは違う異国情緒を醸していた。
昼食場所を探して車でさまよっていると、危うく米軍基地に入りそうになった。ついでに基地の写真を撮ろうかと思ったが、門番の人から「Hey! You!」なんて言われると厄介だと思い、やめた。なにせ相手は世界一の軍。私がどれだけ格闘技を修行しても敵うはずがない。護身三原則その一“君子危うきに近寄らず”。当然、私はすぐに踵を返した。
米軍基地
ご存知の通り、沖縄県にはたくさんの米軍基地がある。沖縄県の面積は日本の国土の0.6%しかないが、全国の米軍基地の7割が沖縄県に集中している。土地だけではなく、海は九州より広い海域が、空は北海道より広い空域が米軍の管理下にある。沖縄県が日本に復帰して50年以上だが、半分くらいはまだ米国の統治下にあるのではないかと思ってしまう。
どういう経緯で沖縄県の中でもこんなにも広い地域が米軍に使われているのか。そしてなぜ沖縄に米軍基地が集中しているのか。
1945年の沖縄戦で米軍は、奇襲的に沖縄県中部に侵攻。3日ほどで県中部を占領し、すぐに飛行場を建設した。戦争終結後も1953年の「土地収用令」により、強制的に住民の土地を奪っていった。武装兵を配備した上で、ブルドーザーで家屋を潰していった様から、「銃剣とブルドーザー」と表現された。
それ以降、様々な事件や問題を引き起こし、県民の権利や感情を踏みにじり続け、現在に至る。
また、沖縄という地は、アジアのどの地域にも軍を展開しやすく、戦略的に重要な位置にある。その重要性(※)から、米軍は沖縄を「太平洋の要石(キーストーン)」と呼び、沖縄に基地を置き続けている。※重要性については色々な意見がある模様
1995年、米兵3人が少女暴行事件を起こした。この時、米軍は日米地位協定を盾に容疑者の引き渡しを拒否。県民の激しい怒りを呼び起こした。その怒りが政治問題にまで発展した結果、日米両政府は1996年、普天間飛行場を返還することで合意した。
宜野湾市にある普天間飛行場は、人口密集地にあるため“世界で最も危険な飛行場”とされている。この危険性を除去するために、“県内移設”を条件にその合意はなされた。
その移設先が名護市にある辺野古。沖縄県や名護市は、移転後の辺野古飛行場を“15年の使用期限付き”、“将来的に民間空港にする”という条件で受け入れた。
しかしその後、使用期限をなくすなどした新たな合意が、日米両政府の間で県や市の意向を無視した形でなされた。その後も日本政府は、県の民意を汲まずに移転工事に着手したり、承認を拒否した県に代わって工事を承認したりするなどした。このような経緯から沖縄県の世論(県民の7割)は、現在は“県内移設ノー”という立場のようだ。
沖縄の平和な姿は…
沖縄県は、中国の歴代王朝の冊封を受けながら独立した国”琉球”として存続してきた。豊かな自然と独自の文化を資源とし、貿易の中継地として様々な国々と交易して栄えてきた。
街を見れば中国の影響を受けてきたことは容易にわかるし、城跡は中国より朝鮮の影響を感じることができる。それだけでも沖縄が昔から様々な国々と交流してきたことが分かる。
しかし、1609年に薩摩藩に攻め込まれ、薩摩藩、ひいては日本国に服属することになった(中国の冊封はその後も受け続けたので日中に両属という形になった)。また、明治初期の琉球処分によって、琉球は沖縄県として強制的に日本に組み込まれた歴史もある。
もちろん、日本で言う戦国時代や江戸時代の日本には人権という概念はなかったし、明治初期にもその概念は浸透していなかっただろう。
しかし、ここまで歴史的に自分たちの文化や感情が踏みにじられ、そして今また踏みにじられている県民の悔しさはいかばかりか。基地問題は環境問題でもあるし、また、民主主義の根幹にかかわる問題でもある。しかし、私にはこれが、人権問題がもっとも大きな問題であるように見えて仕方がない。
沖縄の穏やかな波のような真に平和な姿は、いつの日か沖縄に訪れるのだろうか。


