妻との会話集:新人教育と習い事の共通点。人を育てるのは「放任」ではなく「伴走」(多分)

妻との会話集:新人教育と習い事の共通点。人を育てるのは「放任」ではなく「伴走」(多分)

最近、あることについてめっちゃ考える。
それは、“どんな習い事でも、その習い事を通して子どもを成長させるには、親御さんの関与の仕方がとても重要である”ということ。

ある日の妻との会話
昨晩、妻と会話をしていて、その中で妻が次のようなことを述べた。

「取引業者さんとやり取りをしていて、残念な若い人が多い気がする。『ちゃんと社内で教育しているのかな?』と思うレベルで。上役の人は『本人に任せているので~』というスタンスだったりとか、なんなら『○○さん(妻)、うちの新人を鍛えてやってください』というスタンスをとったりする感じ。でもそれって、新人さんを信用しているように聞こえて、実は新人教育を放棄しているだけなんだよね」

たしかにそう。“本人の意思の尊重”とか“信用している”とか聞こえはいいが、それは社会人としてのマナーや業務の進め方、仕事に対する考え方などなど、下地があって初めて通用することだろう。本人のやる気は当然必要になるだろうが、下地を作る教育をしたり背中を押したりするのは上役の役目だろう。
それをせずに社会に出すのは、スポーツでルールも知らないのにいきなり試合に出ろと言っているようなもの。

子どもの習い事で重要なこと
子どもの習い事(ここではスポーツ系の習い事とする)をさせる親御さんは、おそらくその習い事を通して子どもに様々な面で成長してほしいと思っていると思う。忍耐や努力の仕方、礼儀正しさ、規律、などなど。
そして習い事を主宰・指導する側(監督や師範など)もそう思っている。少なくとも私はそう思っている。そしてそれの実現のために様々なことをやっている。
しかし、主宰・指導する側がその成長のためにどれだけ準備・実行しても、子ども自身が練習場所に来なかったら何もできない。当たり前の話。例えば、私が空手を通して“努力の仕方を学んでほしい”といろんな施策を実行しようとしても、子ども自身が道場に来なかったら実行できるはずがない。
最近考えるのは、“そういった場面で必要になってくるのが、親御さんの関与ではないか”と思っているのだ。

親御さんの関与の大事さ
私の立場でこんなことを言うのは少し気が引けるが、過去に当道場を退会した子どものその退会理由に疑問を持ったことがあった。子どもが退会する際は大体親御さんがその意向を伝えに来るのだが、以下のような理由があった。

「空手の日は疲れるらしいので」
「遊びを優先させたい」
「ゲームをやりたいらしいので」

疑問を持つというのは、『子どもがそれを言ってきたとき、この親御さんはどのように答えたのだろうか』ということ。

子どもにも気分が乗らない時や心が折れそうな時、遊びたい時、迷う時はある。大人だってあるので当たり前。そういった時に家庭内で“努力の仕方”を教えられるのは親御さんだけだ。
・家で子どもが練習に行くのを面倒くさがった時、手を取って「頑張ろう」と言えるのは親御さんしかいない。
・壁に当たって子どもが心折れそうになった時、「〇〇ならできる。乗り越えられるよ」と忍耐と継続の重要性を教えられるのは親御さんしかいない。
・子どもが試合に出ようか迷った時、「挑戦することが大事だよ」と背中を押してあげられるのは親御さんしかいない。

『本人の意思に任せているから』『先生に任せているから』『子どもが休みたいって言うから』
その言葉は一見、子どもを尊重しているようでいて、実は一番大切な教育の機会を逃しているのかもしれない(私見です)。
なにも、とても体調が悪い時に“首根っこ捕まえてでも連れていくべき”と言っているわけではない。どうしても苦手なことを“ひっぱたいてでもやらせるべき”と言っているわけではない。“お母さん・お父さんが見てくれている”、“励ましてくれる”と実感するくらいは、親御さんが積極的に関与した方がいいのではないか、と考えている。

親御さんの影響の大きさ
子どもに習い事を通して成長してもらうには、親御さんの力だけでは足りないだろう。もちろん指導者側の力だけでも足りないだろう。親御さんの積極的な関与と指導者側の努力、この両方が合わさって成長するのではないだろうか。
闘気塾には親子で空手を習う家庭がたくさん在籍している。そういった家庭の子どもは、総じて出席率が高い上に成長も速い。なにより、空手を楽しんでいる。その事実は、“子どもの習い事に対する親御さんの関与がいかに大きい影響を及ぼすか”を表しているだろう。