試合に出る人マジ尊敬
私は子どもの頃から今でも試合とかなんとかにまったく興味のない男。スポーツをする多くの人は、自分が情熱を注いで取り組んでいる競技で、「練習の成果を試したい」、「自分の今の実力を測りたい」などと考え、試合に出場する。しかし、私は子どものころから試合には全くと言っていいほど興味がなかった。
出場したことはある。中学時代のバスケットボール、高校時代の弓道、大人になってからの空手、ブラジリアン柔術。いずれも出場経験はある。しかし、いずれも積極的に出場するという感じではない。いざ出場すればそれなりに“勝ちたい”という欲はあるのだが、試合そのものに積極的になったことはない。
だから私は、道場内の人たちや格闘技仲間で試合に積極的に出場する人をとても尊敬している。
ブラジリアン柔術仲間の人で30代の男性は、年間20~30試合ほど出場する。いや、もっとかもしれない。あまりに出場するので、アジアスポーツ柔術協会の年間の日本ランキングで1位になっていた。しかも、2位と倍くらいの差をつけて。その人は、近くて福岡、遠くて大阪、東京、さらに遠くて台湾など、日本どころか世界を股にかけて出場しまくって優勝も多数。や~本当にすごい。尊敬しかない。多大な時間と労力と費用をかけるその情熱はどこから来るのか…今度飲んだ時に聞いてみよう。
試合は貴重な経験を与えてくれる
子どもにとって、試合に出場する意義はなんだろうか。
2026年1月18日、宮崎市のひなた武道館である大会が行われ、闘気塾西都から複数人が出場した。その中に、小学1年生(当時)のRもいた。
Rは、それまで幾度か試合に出場したものの、いずれも一回戦で敗退してきた。多くは語らないRだが、練習は真面目に取り組み、組手専門で強度の高い練習であるコンペティションクラスにも参加している。お母さんも練習時には毎回見守り、Rを励ましていた。しかし、親子で努力はすれども結果は出ず、という状態だった。
そして1月18日の試合。Rは一回戦を勝ち、初勝利を挙げた。飄々としている本人とは逆に、お母さんも周囲の仲間も嬉しそう。私も嬉しく、思わずRを抱きかかえた。その後、Rは二回戦も勝利し、惜しくも決勝で敗れ、準優勝となった。終了後、Rに感想を聞くと「嬉しい」と。
この“嬉しい”にはいろいろな意味があるのではないだろうか。
“きつい練習を耐えてきたのがようやく報われた”という嬉しさ。そして、“お母さんに褒めてもらえる”という嬉しさ。“仲間が自分のことで一緒に喜んでくれる”という嬉しさ。
いずれも子どもにとっては貴重な経験だろう。
試合に出場することになれば、それに向けてたくさんの努力をする。いざ出場すれば、緊張に耐え、相手と技を競い合う。その結果、勝つこともあれば負けることもあり、嬉しさや悔しさを味わう。一緒に喜んでくれる仲間の顔があり、「次に向けて頑張ろう」と声をかけてくれる父母がいる。
そういった、努力・忍耐・喜び・悔しさ・感謝を経験させてくれるのが、子どもが試合に出場する意義ではないだろうか(細かいことを言えばもっとあるが)。
2026年2月8日、都城市で大会があり、Rもエントリー。
しかし、事前にRは大会1試合目というのが分かっていたものの、開会式が始まろうとする時間になっても現れない。開会式が終わればすぐに試合。
開会式が始まるときにようやく現れたR。開会式が終わってすぐに試合の準備をするが、ウォーミングアップもできない。結果、一回戦敗退。
試合に向かう気持ちもできていなかったので、試合の途中ですでに泣き始め、試合が終わっても涙。
ま…まぁこういう失敗も学べるのも、子どもにとっては勉強…なのか?

