「人間は考える葦である」とは、私の子どもの頃の友人であるブレーズ・パスカル君の有名な言葉だ。パスカル君は1623年生まれのフランスの哲学者。ちなみに、私の友人であるというのはウソです。
「人間は考える葦である」の意味は、“人間は自然の中では弱い存在だが、その代わり考えることができる”らしい。短い言葉で人間をよく言い表していると思う。知らんけど。
しかし、その考える力は時に、私たちを悩みや苦しみの中に引きずり込むこともある。
空手の指導者も普通の人
世間一般で空手の指導者と聞けば、強い精神力を持った人物というイメージがあるのではないか。実はまったくそんなことはない。空手の指導者も悩み、苦しむことが多々あるし、弱い一面も多々ある。
私の知る限り、空手の指導者をしていた方の中には、借金を抱えて行方知らずになった人もいるし、残念ながら自死された方もいる。空手の指導者も普通の人間だということ。
かく言う私も、少し前に職場の人間関係について考えさせられ、少し気持ちが臥せっていた。それには伏線があり、色々な場面・場所で、自分と言う人間に少し嫌気がさしていたのだ。口下手で他人のことをあまり気にかけず、自己開示ができず人に頼る事もしない自分の性格に、そしてそれによる自分の存在の薄さに少し幻滅していた。
年甲斐もなくそんな小さなことで気持ちが臥せって生成AIに相談してみたり、簡単に変わるはずもない自分の性格を無理に変えてみようと試みたり。空手の指導者も、そんな風にして弱い普通の人間だということ。
しかし、格闘技界にはある言葉がある。
“悩んだ時こそ、練習しろ”
悩んだ時こそ道場へ
格闘技は、本質的には“潰し合い”。自分の力や技を相手にぶつけて、相手をやりこめるのが格闘技。もちろん、練習は本気でやることはなく楽しくやるが、油断すれば自分がやられるということに変わりはない。
必然、目の前の相手に集中することになる。すると、不思議なことに練習が終わった後にはすっきりしている。どれだけ重い悩みでも、練習を繰り返して仲間と会話を重ねるうちに自然と悩みが軽くなっていく。
そして一番は、ともに練習する仲間がいるということ。切磋琢磨し、飲みに誘えば酒を酌み交わす気の置けない仲間がいるというのは、悩みを軽くする効果が大きい。
仮に職場や学校の人間関係に悩んだとしても、道場に行けば自分と対等に話して笑顔を向けてくれる仲間がいる。自分だけの人間関係がそこにはある。
そういう意味で、格闘技界には“悩んだ時こそ、練習しろ“という言葉があるのだ。
悩んだ時こそ
で、私の話に戻る。少し気が臥せっていたが、練習を重ねると案の定、気持ちが軽くなっていった。というか、前向きになっていった。
『自分に合っていないものに無理に合わせても仕方ない』
『自分には自分に合ったコミュニティがちゃんとある』
『自分には飲みに誘える仲間がいる』
そんな感じ。
自分の内面の関する悩みなので、道場に行ったら行ったでまた考えさせられることはあるものの、気軽に飲みに誘える仲間がいるというのはありがたい。
悩んだ時こそ、練習しよう。

