試合の結果を重視しない理由

試合の結果を重視しない理由

他人に勝てる強さを重視しない
私は、道場に所属する人の試合の結果を重視しない。見事に優勝した人と残念ながら一回戦敗退した人を同列に評価している。
ただし、試合に出た人と出なかった人は、若干評価が変わる。いや、“試合であろうと練習であろうと、積極的に参加している人を評価している”と言った方が正しい。
また、試合でも練習でも、組手で他人に勝てる強さも重視していない。見学に来た人に渡す道場の説明書きにも「当道場は“試合や組手で他人に勝てる強さ”を重視していません。もちろん、子供自身が目標を持つことは大いに結構ですが、子供の大会結果を指導者や道場の目標にすることはありません」と書いている。

理由は…
試合の結果や組手の強さを重視しない理由だが、“武道は他人ではなく自分との闘いである”と定義づけしているから。
武道は他人を相手に技を掛け合ったり、地味な稽古の繰り返しだったりする。他人と組手をする時は怖いし、地味な稽古の繰り返しは時に面倒になる。そういった自分の弱い部分がひょこっと顔を出す。試合に挑戦する人や練習に積極的に参加している人というのは、その“自分の弱い部分と闘っている人”とみなしている。
なので、試合の結果や組手の強さではなく、“いかに自分と闘ったか”という点で評価している。そのため、試合でいい結果が出せなくても組手が強くなくても、よく試合に挑戦する人やよく練習に参加する人が、級や帯が上がっていくのだ。

私の自分との闘い
私は、この自分との闘いを自らに課したことがある。それは、空手道三段を受審する前のことだ。
その頃には既に自らの道場で指導する立場となっていた。指導する立場になると、試合はおろか、何かに挑戦したり自分と闘ったりということが遠ざかる。(いや、ある意味で自分と闘うことは多々あるのだが、それは道場に所属する人たちとはまた違う闘い)
そういったことから三段を受審する前、『何か自分に課して、それをやり遂げてから三段を』と思った。
自分に課したこととは、ハーフマラソン。走ることが得意な人からすれば「え?そんなこと?」と思うだろうが、走ることが極めて苦手な私にはかなりの挑戦だった。
数か月前から走り込みを行い、特訓を重ね、本番ではなんとか2時間1分で走り切った。
『もう二度とやらない』と思ったし今でも思っているが、あの挑戦は、少しは成長の糧になったと思っている。

闘気塾の名前の由来
闘気塾の道場名の由来は「自分の病“気”や弱“気”と闘う」ということから名付けられた。
また、闘気塾Tシャツにはアリストテレスの格言「I count him braver who overcomes his desires than him who conquers his enemies; for the hardest victory is over self.(私は敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方をより勇者と見る。それは、自らに勝つことこそ最も難しい勝利だからだ)」をプリントしている。
道場に所属する人には、少しずつでも自分と闘って成長につなげてほしいと願っている。

そして、今年一年、闘気塾の道場生たちは自分との闘いを楽しんでくれました。
おかげさまで仲間も増え、より”空手を楽しめる道場”になってきました。
来年もみんなで空手を楽しんで、そして一緒に成長できればと思います。

来年も闘気塾を宜しくお願いします。押忍

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