4度も処分された指導者
2024日12月8日付けの朝日新聞の記事「歯止め効かぬ暴力的指導の連鎖」を読んだ。内容は、『長崎県の柔道指導者が暴力・暴言を繰り返し、4度目の処分を受けた』というもの。2024年4月から県立高校に入学する予定だった女子生徒が、3月下旬に寮に入寮してからの約2週間暴言にさらされ、転校を余儀なくされた。
発言内容の一部を書くと、「白バイ隊員になりたい?お前には無理。笑わせんな」「俺はお前のこと気持ち悪いと思う」「頼むからお前は消えてくれ」などだ。また別の生徒にも他の部員の前で「お前は母子家庭で貧乏だから~」と言った、など。この指導者は取材に対し、「発奮させるために言った」「(指導を)そのようにとらえるのであれば、本人のとらえ方、考え方なので、申し訳ないという気持ち」としている(発奮させるために存在を否定するっておかしいでしょ)。
結局この指導者は、停職6か月の処分を下された。だがこの指導者は、部員への体罰で2006年に訓告、13年、23年に懲戒処分を受けていたが、いずれの処分後も県教委が指導復帰を容認していたという。しかも、現在も他校から指導者としての誘いもあるとのこと。長崎県教委は3度目の処分後、再教育プログラムを実施したらしいが、結局この指導者は1年足らずで生徒2人を転校に追い込んだ。
指導者という強い立場を利用して繰り返す暴力・暴言。そしてそれを何度も事実上“赦免”する県教委。そうしてまた平然と次の指導の場に赴く暴力指導者。一体、何人の被害者を出せば気付くのだろうか。一体、何人の子供の心を壊せば気が済むのだろうか。
たしかに暴力・暴言をした指導者にも更生の機会は与えられても良いと思うが、4回も処分されたにもかかわらず、また指導の場に立とうとしている。強い違和感を禁じ得ない。
フルコンタクト空手界も他人事ではない
フルコンタクト空手界でも未だに暴力・暴言やいき過ぎた指導を見かけることがある。そして、指導者が絶対化している道場も多々存在する。さらなる問題は、いたるところに存在する小さい町道場までも網羅的に把握・所管している組織がほぼないこと。それぞれの道場が独立した存在であり、その独立した道場が集まって協会のような組織を形成することはあるが、その組織も全国に乱立している状態。(そこにはフルコンタクト空手界独特の事情があるのだが、ここでは述べない)
そうなると、統一された指導者の教育プログラムや有事の際の連絡や報告をする機関もない。ここまで無秩序に広がってしまった町道場たちを相手に今からこの問題を解決しようとしても、よほど強制力のあるものでもない限りほぼ不可能に近いだろう。
このような状態で、仮に道場内で暴力・暴言が行われていたとしても、それを発見することはかなり困難。それは柔道の比ではないくらいの難しさだろう。したがって、フルコンタクト空手道場において暴力・暴言を防ぐには、現実的には道場指導者の自覚と周囲の協力に頼るしか方法はないだろう。
指導者は絶対ではない
指導者は絶対ではない。神格化してはならない。指導者は常に勉強し続け、倫理観・価値観をアップデートし続ける必要がある。同時にまた、道場を運営する人やサポートする人たちは、指導者の周囲に“監視機能”を作り、指導者を絶対化させない取組みをしなければならないと考える。それは何も組織の役職的な“監視役”という形にこだわる必要はなく、サポートする人たちとの対話で「監視し、何かあれば遠慮なく指摘してほしい」と伝えるだけでも効果はあるだろう。
冒頭の新聞記事の中で、指導者による暴力・暴言の問題に詳しい弁護士は次のように述べた。「暴力的な指導をして生徒が結果を出した人物は、性犯罪や薬物と同じで再犯が多い」と。それはつまり、一度暴力・暴言をしてしまうと、指導者自身ではやめられない可能性があることを示している。
指導者は絶対ではない。暴力・暴言のない指導を実現するには、謙虚な気持ちで自ら勉強し続け、周囲に頭を下げて正しい指導への協力を仰がなければならない。
ここで、元格闘家、かつ、日本におけるブラジリアン柔術の先駆者であり、今は柔術道場で指導者をする中井祐樹先生の言葉を引用する。これは、氏がSNSで挙げた言葉で、指導者のあるべき姿勢を短く端的に、かつ、正しく伝えている。
「分け与える。望むことをとことんやれるようにする。支配しない。自分の力でやれるようにする。フォローする。
これしかしません。
これ以外は絶対しません。」
指導者は”導く者”であり、支配者ではない。
と、自戒を込めて書いてみた。
