若くして二段になる2人

若くして二段になる2人

二段という段位
“空手道 二段”
この段位は、重い。

闘気塾において二段は“師範代”の段位。師範代は、その名の通り師範の代わりを務める立場。それはつまり、他の模範となり、他を導き、率先して道場を率いる立場になるということだ。
道場主によって考え方は異なると思うが、ただ“組手が強い”とか“試合で結果を出した”とか、そういったものだけでは私は二段を授与しない。常に自らの人間的成長を図り、後輩の成長を促し、社会教育の場としての道場の成長を見据えることのできる人でなければ、二段は授与しない。
その意味で、二段は重い。

この3月、その二段を授与された人が3人いる。1人は闘気塾西都を開設した時からのメンバーのターヒラ。ターヒラのことは別記事で触れるので、今日は置いておく。
あとの2人は、4月から高校生になるモカとダイキ(以下、“モカダイ”)だ。2人は様々な場面で活躍し続け、度々この闘気塾日記にも登場する道場の顔役。
モカダイは共に保育園年長だった2015年11月に闘気塾西都に入門した。闘気塾日記に度々書いているが、2人が入門した時、同じ保育園に通う同年齢の友達もたくさん入門した。途中、何人か道場を辞め、さらにコロナで活動できなくなった際に一気に人数が減り、残ったのがモカダイ。
2人はそのような苦節の時期を乗り越えて、今や後輩たちを引っ張る立場になっているのだ。

組手が得意なモカ
モカは幼い頃から運動神経がよく、練習も一生懸命にやった。そのため、モカは主に組手で結果を出してきた。しかし、そんなモカも最初から順風満帆だったわけではない。
モカの公式戦デビューは2017年2月の戦極杯。展開は忘れたが、一回戦負けだった。その大会には仲間たちみんなで出場したが、2名が一回戦突破したものの、モカを含む他の道場生たちは反則負けなど惨憺たる結果だった。
しかしそこからモカは才能を発揮した。
2017年7月の大会で初優勝したのを皮切りに、連戦連勝。この頃、男女混合クラスで男子選手に惜敗することはあるものの、県内の女子選手にはほとんど負けなかった。

この頃のモカの試合で印象に深く残っている試合がある。2018年11月の大会の決勝戦でのこと。
相手は体の大きな男子選手。この選手には、モカの男子の仲間たちも散々やられているほど、体格を生かしたパンチがとても強い選手だ。
試合開始。案の定、モカはパンチを打ち込まれ、ダウン寸前になり技有りを取られる。私を含む周囲は、『やっぱり無理か…』という諦めムードになる。しかしモカ自身は諦めなかった。なんと上段回し蹴りで技有りを取り返したのだ。その後も激しく打ち合う両者。審判の「やめ!」がかかって両者が離れる際、モカは相手を睨みつけ、気持ちで全然負けていない姿を見せて周囲を驚かせる。結局、本戦では引き分けだったものの、延長では体重で押し込まれ惜敗。道場では明るいモカの、本来持っている負けん気の強さを物語る印象的な試合だった。

その後もモカは様々な試合に挑戦。2019年には、当時闘気塾が所属していた連盟の全国大会に出場し、優勝。小学5年生時には道場の中で一番早い黒帯となり、道場外の人からも「黒帯の人」として認知される。中学2年生・3年生の冬には大きな団体の全国大会にも挑戦。(過去回参照)
学校生活においても、いろいろな活動をしながら勉強の手を抜かず、高校は推薦入試・合格を勝ち取った。また、2025年2月には、【令和6年度北方領土に関する全国スピーチコンテスト】で第3位となり、新聞に取り上げられるなど、まさに文武両道の空手家に成長した。

型好きなダイキ
一方のダイキ。幼いころから不器用で、懸命に練習するものの組手ではなかなか芽が出なかった。当時たくさんいた仲間たちは、ともに切磋琢磨して県内の大会では上位を独占していたものの、ダイキは優勝・準優勝することができずにいた。
(誤解のないように言うと、ダイキは組手が弱いわけではない。その辺りのストーリーは過去回ご参照を)

しかしダイキは自力で別の強みを得た。それは、型。
闘気塾では、型を披露して指導者から認められたら与えられる“型の免許証”というものがある。ダイキはこの免許証集めに小さい頃からハマった。
練習前に私のところに来ては「先生、型を見てください」と言い、練習後にも「先生、型を見てください」と言ってくる。認められなかった(免許証をもらえなかった)時には悔し涙を流すほどの思い入れで型を練習していた。
大輝の型にも印象的な試合がある。(これも過去回を)

実は、モカダイ2人は小さい頃から型ではライバル関係でもあった。最初の頃はモカが上回っていたが、途中からはダイキが練習の成果を発揮し、2人は競り合うようになっていった。そんな2人が、2022年10月の大会の型部門の決勝戦で同門対決をすることになった。
その決勝戦は、大勢が見ている中で1人ずつ披露する形式で行われた。
先手はモカ。モカは練習を重ねてきた黒帯の型、“観空”を披露。観空は非常に難しい型で、跳躍(ジャンプ)があったり腰を落とした姿勢のまま後ろ向きに180度転回したりするなど、バランスが要求される型だ。モカはこの観空を見事にやり切り、周囲の拍手を受ける。
次はダイキ。ダイキが披露する型は“慈恩”。闘気塾がやっているフルコンタクト空手に慈恩はないのだが、型好きが高じたダイキが自分で研究・稽古した型だ。この型も俊敏性や姿勢の保持が非常に難しい型。
ダイキの慈恩の初手、前屈立ちしながら内受けと下段払い、この初手が全てだった。道着の擦れる音が“シュバッ”と鳴り、一瞬にして周囲を静寂にさせた。ここからのダイキは完璧だった。俊敏性、姿勢、声、気迫、どれをとっても周囲を感動させるに余りあるものだった。
ダイキの慈恩が終わった瞬間、モカは思わずこうつぶやいた。
「…負けた」
おそらくモカのこの“負けた”には『型ではもうダイキには敵わない』という意味があったように思う。

結局、判定の旗はダイキに上がり、見事に優勝を決めた。
(モカは同大会の組手部門では、他道場のライバルを破り優勝している)

努力の証“空手道二段”を渡す
2人が出場した大会はおそらく50以上はあるだろう。コロナ騒動がなかったら60は超えていたはず。たくさんの練習会にも参加して、たくさんの合宿にも積極的に参加した。まさに挑戦の連続の空手人生を送ってきた。そのようにして、モカダイは保育園年長から中学3年生の10年弱、様々な挑戦を重ね続け、共に成長してきた。
そんな2人は、今では積極的に後輩を教えたりサポートしたりするなど、道場の牽引役としての役割を担っている。
約1年前の2024年2月、2人が中学2年生の時、私はある事を考えた。『来年モカダイは高校生になる。今まで2人は様々なことを乗り越えて道場を引っ張ってくれた。2人のその“努力の証”を、来年高校生になる時に渡そう』、と。
その努力の証とは、“空手道二段”。

2人の先輩である指導員ターヒラが初段のままモカダイが二段になるのは体裁が悪いため、ターヒラにも二段の審査を受けるように伝える。
高校生の二段は闘気塾では初であり、かつ、審査を通さない二段であるため、闘気塾会長の了承を得なければならない。おそるおそる会長に聞くと、あっさり「いいよ」と。
2人(と2人の親)にはサプライズで渡したいので、すべて秘密のプロジェクトとして進んだ(この時点でこのことを知っているのは、会長、恵誠会の先生、ターヒラ、私だけ)。
そして、2025年3月18日、ターヒラに二段の免状と帯を渡したあと、モカダイの名前を呼ぶ。なぜ呼ばれたか分からず戸惑う2人に二段の免状と帯を渡し、口頭でモカには組手コーチ、ダイキには型コーチになってもらうことを告げる。
”受け取っていいものか”、”なぜ二段が渡されるのか”、そんな表情を浮かべる2人。ターヒラの免状授与から動画撮影をしていたダイキの母親も、動画を撮りながら「え~!」と言い、そのうち鼻をすすり涙を流す。急な出来事で何も考えていなかった2人にコメントを求めると、モカは「闘気塾で勝負事の楽しさを知った。この道場で練習できるからこそ、今まで優勝などすることができた」と言い、ダイキは「子供の頃は弱かったけど、練習を重ねてここまできた。これからも空手を続けるつもりです」とコメントした。

正直、モカダイが高校生になっても空手を続けることは想像していなかった。いや、想像できなかったといった方がいいだろう。
私の経験上でも他道場の例を見ても、高校生になっても空手を続ける人は15~20人に1人程度ではないだろうか。多くの人は途中でやめ、小学校を卒業するときにやめ、中学校を卒業するときにやめる。ましてや、何の実績も取り柄もない私のもとで、前途洋々たるモカダイが空手を続ける理由はどこにもない。
しかし、2人は闘気塾の空手を続けるという。この事実は、私の心にじんわりとしたものを湧出させる。それはまた、闘気塾における2人の遠い未来の姿を私に想像させるものでもある。
2人にはこれからも“自分自身”を築き、そして大事にしながら、闘気塾を引っ張っていってほしいと願う。

2人が保育園卒園の時の写真をラベルにしたオリジナル焼酎を、まだ封を開けずに持っている。それをもらった時には一緒に飲むことなど想像できなかったが、2人はあと4~5年もすれば20歳。その焼酎を一緒に飲める日が来るかもしれない。

モカダイ、昇段おめでとう。そして卒業&入学おめでとう。