子供の努力を認められない悲しさ②

子供の努力を認められない悲しさ②

~前回からの続き~
一年間の努力の証である昇級と昇帯。12月の免状・帯授与式で、帯が上がらなかった道場生がいた。

帯が上がらないことで学べること
他の指導者もおそらくそうだと思うが、私は、審査を受けるからには級も帯も上がってほしい。それは、帯が道場に所属する人のまぎれもない努力の証だから。今回、帯が上がらなかった道場生も本人なりに努力はした。“型ができなかったのは、本人の努力が足りなかった”という考えもあるかと思うが、私から見てその道場生は“自分ができる努力”は精一杯していた。その努力を認められなかった(帯を上げられなかった)というのは、私にとってとても悲しい出来事だ。

実は過去にも一人だけ帯が上がらなかった道場生がいた。その子は、覚えはよかったものの、稽古中に真剣さが見られず、審査の時もふざけたような態度で臨んでいた。結果、及第点に達することができず、帯が上がらなかった。自分一人だけ新しい帯がもらえなかった事を知った瞬間のその子の泣き顔は今でも忘れられない。
そのあとの練習時、泣いているその子を呼んで、真面目に稽古している他の子達の様子を見せ、“なぜ帯が上がらなかったのか”を話した。その結果、次の練習から真剣にやり始め、それからは帯も順調に上がった。後日、その子の父親から「あの時、帯が上がらなかったのは、とてもありがたかったです」と言われた。おそらく“うまくいかない時もある”ということや、“真剣にやることの大事さ”をそこで学べたからそう言ったのだと思う。私自身も“帯が順調に上がることだけが、子供にとっての学びではないのだ”ということを学べた。

帯が上がらなかった道場生の様子
道場によっては帯がなかなか上がらない道場もある。“生涯武道”という観点で言えば、それも一理。ブラジリアン柔術も帯が上がるのがとても時間がかかる。技術を重視する“武術”という観点で言えば、それもまた一理。
しかし私は、自分の道場では各道場生の一年間の努力がきちんと目に見える形で現れてほしいと思う。それは子供であろうと大人であろうと同じ。組手が強い人であろうとそうでない人であろうと同じ。努力している人は帯が上がってほしいと強く願う。

そして今回帯が上がらなかった道場生。級が上がったことの証である免状のみを渡した。そして同時に「できるだけ練習に来て、型もきちんと覚える努力をすること」を話した。体調不良や他の習い事との兼ね合い、家庭の用事などがあるので、“できるだけ練習に来ること”を話すのは強制しているみたいでちょっと気が引けるのだが、練習に遅れが生じることが考えれば言わざるを得ない。帯が高くなればなおさら。
帯が上がらなかったことを知った道場生はというと…意外にケロっとしていた。マイペースなその子らしい。涙を見ずに済んだことにはホっとしたものの、やはり帯を渡せないのは心苦しい。
しかし、そこからその子なりに何かを学び、次に繋げてくれると信じている。

また一年間がんばって、来年こそは帯が上がってほしいと願う。