子供の努力を認められない悲しさ①

子供の努力を認められない悲しさ①

年に一度の昇級審査
2024年11月10日、闘気塾西都の昇級審査を行った。道場に所属する人達にとって、昇級審査は一年間の稽古の成果を披露し評価してもらう良き機会。審査に向けて難しい型を覚えたり、長丁場に耐えられる体力をつけたりし、その日に臨む。
闘気塾の帯は、無級の白帯からスタートして10級・9級が橙帯、8級・7級が青帯、という具合に級2つごとの帯色になっている。例えば、及第点に達した人は10級から8級に上がって帯色も変わる。そのようにして、おおよその人は毎年順調に級と帯が上がっていく。しかし同時に、及第点に達しなかった人は、10級の人が9級になるという具合に、“級は上がれど帯は上がらず”という状態になることもある。
しかし私は、“審査を受けたのに落ちた”、“級は上がったけど帯が上がらなかった”という状況を作りたくないので、及第点に達することができなさそうな人はそもそも審査を受けさせない。受けるからには合格してほしい、帯が上がってほしいからだ。

ツラいことや難しいことを乗り越えて上がる帯
帯が上がるにつれ覚えることも難しくなるし、審査員の目も厳しくなる。例えば立ち方。空手の立ち方はいろいろあり、どれも足腰の鍛錬。そのため、どの立ち方もとてもツラい。私は特に立ち方を重視しているので、審査員各々にもそれら評価基準を伝達している。初級者はまだできなくて当然なので、立ち方があまくてもそこまで厳しい評価はされないが、帯の高い人の立ち方ができていないと評価は低くなる。
型も比較的重視している。審査の数か月前から帯ごとに「型は○○まで覚えて」と伝えており、大体の道場生はちゃんと覚えている(中には隣の人をチラチラ見ながらやる人もいるが)。そうしたツラい立ち方や難しい型を覚えて、みんな帯が上がっていくのだ。
しかし、11月10日の審査では帯が上がらなかった道場生が一人いた。正確に言えば、級は上がったのだが、帯が上がらなかった。

帯が上がることの難しさ
その道場生は練習も少し休みがち。休むのが悪というわけでは決してないが、どうしても他の道場生よりも覚えることがやできることが遅れがちになってしまう。なので私は、事前に『帯が上がるには何をしなければならないか、どういう努力が必要か』を切々と説明し、その道場生もちゃんと努力してくれていた。

審査当日、みんな真剣に受審する中、その道場生もなんとか食らいついて頑張っていた。立ち方はあまりできていないが、直前まで頑張って覚えた型もなんとかできた。しかし、ある一つの型ができていなかった。
“太極その3”という型で、そこまで難しい型ではない。その道場生は、他の難しい型はちゃんと覚えていたものの、“太極その3”ができていなかったのだ。もう一度させてみてもやっぱりできていない。苦慮した私は、最後の機会として次の練習日にもう一度やらせてみることにし、“それまでにちゃんと練習するように”と話した。次の練習日、その道場生は練習を休んだ。そしてその次の練習日も休んだ。体調不良や用事が重なったようだった。結果、“太極その3”の再審査はできなかった。つまり、帯が上がる及第点に達しなかった(級は上がった)。

~次週に続く~