ブドウはおいしい。以前、闘気塾西都に所属していた元道場生の家がブドウ農家さんで、ここのシャインマスカットがとてもおいしい。毎年買いに行っていて、昨年も買った。そしてびっくりするほどおいしかった。今年も必ず買おう。
武道は精神修養・人格形成
武道は素晴らしい。元々は戦闘術だったものが、江戸時代頃から“剣禅一如”に代表されるように精神修養と結びつき、明治時代頃には『人の歩むべきみち』という意味の“道”に昇華して武道となった。“他人との戦い”である戦闘術と、“自分との闘い”である精神修養・人格形成。一見すると正反対だが、これが結びついて日本独自の伝統文化になっている点が興味深い。
武道の良い点のおさらい
そんな武道に唯一欠点ともいえるものがあるのではないかと考えている。その前に、武道の良い点をおさらいしておきたい。
まず身体面。多くの武道は全身運動。手と脚、全身の筋肉を使い、常に体を制御・操作している。小さい頃から武道を始めた子どもの多くが、身体能力を大きく高めていく。また、大人でも武道をたしなむ人は、何もしていない人に比して運動能力や健康を維持している人が多い(筆者の主観です)。
また精神面でも、定期的・継続的に武道で運動することによりストレス発散になったり、その結果、思考が前向きになったりもする。
文字数稼g…もとい。武道の良い点をさらに理解するために、上記の精神修養・人格形成の部分を掘り下げる。
多くの武道は基本稽古や型(かた・形)が存在する。これらの稽古は、人との戦いではなく自分との闘い。基本稽古や型は同じの事の繰り返し、地味な稽古の繰り返しであることがほとんど。稽古がおっくうになることもあるし、『この型はもう覚えたよ』という気分になることもある。しかし、それでもさらなる上達を目指して同じ稽古を重ねるということが求められる。あるピアニストは、”ド”の音だけをひたすら何時間も弾いていたらしいが、武道の基本稽古もこれに近い。突きの一つ、払いの一つ、運足の一つ、に実践性と芸術性を求める。これが精神修養を促す武道の良い面の一つだろう。
また、稽古場所の出入りや稽古の始終、試合の前後には必ず挨拶をするという文化も、人格形成に大いに寄与している。
もちろんこれだけではないが、武道には以上のような良い点があると思う。
唯一の欠点
しかし、私は唯一欠点と表現しても差し支えない点が武道にはあると考えている。それは、“チームプレー”がないという点。
ほとんどの武道は1対1の競技形態をとる。剣道、柔道、空手道、弓道、どれも“個”の競技。団体戦はあるものの、それも“個”の結果の積み重ねである。他のスポーツのような、例えばチームメイトでパスを回してゴールを目指したり、チームメイトのミスをカバーしたりしてもらったり、というようなところが武道にはない。
つまり、バスケットボールやサッカーなどのチームスポーツに比して、『仲間の行動や技量を考慮して自分の動きを決める』、『自分だけでなくチームとしての動きも反省点に含める』というような他者理解を学ぶ機会が少ないのではないかと考えている。
もちろん、稽古中は先輩が後輩を指導したり、試合になればみんな必死で仲間を応援したりするので、この機会が全くないわけではない。しかし、競技形態的にチームスポーツに比べてどうしても少ないのが現実。
こうした武道の良い点・欠けた点を認識したうえで、数少ない学ぶ機会を大事にしたり、1対1の対話で教えたりできればと考えている。
と、偉そうに言う私も、団体行動やチームスポーツが苦手。人の行動に自分の行動を合わせるという考えも欠如している。まずは、私自身が学ばなければならないということか…。
<今日の道場生の一言>
闘気塾日記の中のAIネタを読んだ、ある道場生の一言。
「自分も学校の感想文とか、内容もAI丸写しですよ( *´艸`)」
いやいや、闘気塾日記は題目をAIに提供してもらっただけで、内容はちゃんと私が書いてますよ。
ていうか、その前にそれ反則行為じゃ…(´・_・`)
