ダラばな:悲しい

ダラばな:悲しい

先日、闘気塾会長と、ある友好道場(以下、「A道場」)の先生と私で、打ち合わせを兼ねて会食をしていた。その中で、そのA道場の先生から悲しい話を聞いた。
同じ市内で活動する別道場(以下、「B道場」)の人達が、A道場の悪口をB道場内で話しているらしい。そしてその影響から、B道場の道場生がA道場の道場生をいじめていたとのこと。私が直接事実確認をしたわけではないし、B道場の人達から話を聞いたわけではないので、私が意見を述べるのは適切ではない。それは分かっているが、これが事実だとすればあまりにも悲しい。

たしかにB道場の道場生たちは試合に強い。全国大会で上位に行く選手もいる。そして、練習会などでは格下の相手でも無遠慮に倒しに行くスタイル。相手が痛がろうが関係なくやりこめる。先生もこのスタイルを良しとしている。
私は思う。試合に強いことだけが子供にとって正義だろうか。練習会で格下の相手を痛めつけるのが子供にとっての”是”だろうか。これらを教えられた結果、目の前の人を思いやることを忘れ、いじめに走ることが果たして子供にとっての成長なのだろうか。
私は思う。勝っても驕らず、まずは相手に感謝を伝えに行くことを教えるのが武道教育ではないだろうか。練習会で格下の相手と組むときは、相手のレベルや心情を慮って適切に加減をすることを教えるのが武道教育ではないだろうか。“弱きを助ける精神”を教えるのが武道教育ではないだろうか。

自道場の生徒だけが試合や練習や私生活で人に勝てればそれでいいのだろうか。

違う。断じて違う。

そんな教育では子供の未来を明るくできないと私は思う。“ありがとうございました”が素直に言える人、目の前の人を思いやることのできる人、誰かが困っていたら躊躇なく手を差し伸べることのできる人こそが、人に感謝され、人に好かれ、人から助けてもらうことができる人になるのだと私は思う。
試合に勝てなくてもいい。“他人に勝てる武道教育”ではなく、“他人を思いやれる武道教育”を私は目指したい。

と、自戒を込めて書いてみた。

A道場の先生。B道場の人たちが自道場の悪口を言っているというのを聞いて、自道場の保護者さんたちに「うちの道場の方たちは、他道場の悪口を言わないように」と注意喚起したとのこと。正しいと思う。そうした指導者の姿勢は、時間をかけて何らかの結果を示すだろう。

現在、A道場の生徒数はうなぎ登りに増えている。そのことが、”どちらの指導が正しいか”を如実に表している。