格闘技にお○る反則行為

格闘技にお○る反則行為

どんなスポーツでもルールは存在する
どのスポーツでもルールがある。ルールは何のためにあるのか。あくまでも私の考えだが、以下のためにルールが存在すると考える。

① 公正・公平な競技を成立させるため
当然ながら、ルールに則っていなかったりルールの適用が片方に偏っていたりすると、そのスポーツは成り立たない。ルールが存在しないスポーツはただの「万人の闘争」状態になると考える。

② 可能な限り危険性を排除するため
格闘技に限らず、多くのスポーツは危険を伴う。その危険性は、完全には排除しきれないものであるが、可能な限り排除させることにより、選手の安全性の確保を図っている。

③ そのスポーツの発展のため
競技が公正でなかったり危険性の高いものだったりした場合、プレイヤー・観客ともにそのスポーツを楽しむことができない。ルールを設けるのは、そのスポーツを楽しめるものにし、多くの人を魅了し、ひいては発展させるためだと考える。

ルールには以上のような役割があり、各競技の管轄団体はこれらのために常にルールを改正している。しかし、時にこのルールが破られる時がある。いわゆる反則行為だ。今回の記事は、この反則行為について、特に格闘技における反則行為の事例を交えて書いていく。

反則行為の例
まず身近であるフルコンタクト空手の例から。今年行われた大会でのこと。その大会は、“掌で押してからの攻撃”や“掛け”と言われる、片手で相手の体勢を崩してからの攻撃が認められているなど、比較的技の範囲が広い大会。
その大会のある試合で、片方の選手が両手で相手を抱え込んで膝蹴り(反則行為)を連発していた。その前にも抱え込んでの攻撃で審判から口頭注意が与えられていたが、その後もそのような場面が見られた。結局、審判からは口頭注意があったのみで、最終的にはその反則行為を繰り返した選手が勝利していた。
通常はそのような反則行為が繰り返された場合、審判はただちに反則による減点を与えなければならない。しかしこの例はそのようなことがなく、負けた方はもちろん、観ている人たちも後味が悪い試合となったのではないか。

今度はプロのMMA(総合格闘技)の試合での反則行為の有名な事例。
1995年に行われたヴァーリ・トゥード・ジャパン。この大会で、格闘家の中井祐樹氏とジェラルド・ゴルドー氏が対戦した。試合は足関節を極めて中井氏が勝利したものの、試合中に受けたゴルドー氏によるサミング(目潰し)で、中井氏は右目を失明。格闘家を引退することとなった。
私もこの映像を観たことがあるが、中井氏は幾度となくサミングを受け、途中から右目が大きく腫れあがっていた。そのような状態で勝利し、なおかつ、その後の二回戦も勝利した。その精神力の強さは感嘆するばかり。この試合では、レフリーはゴルドー氏の反則行為を制止していたらしいが、結果的に最後までやらせていたことになる。なお、後日ゴルドー氏は中井氏に謝罪し、和解したとのこと。
中井氏は、現在は柔術道場を主宰し、日本におけるブラジリアン柔術の先駆者・重鎮として、日本ブラジリアン柔術連盟の会長も務めている。また、格闘技の解説者としてRIZINなど様々な格闘技興行に出演するなど、柔術や格闘技の発展に尽くしている。失明させられても何も言わず、謝罪を受け入れるその姿勢に驚嘆するし、隻眼で見る格闘技観の確かさにも驚かされる。

レフリング技術のさらなる向上を
このように、格闘技の試合における反則行為は枚挙にいとまがない。昨今はどの格闘技団体も体重超過や反則行為には厳しく対処しているが、それでもまだまだ見られる。格闘技の試合は両者アドレナリンが出まくっていて興奮状態になっているので、つい反則行為をしてしまうのかもしれない。試合のみならず、練習中でもそういう状態に陥りかけることがあるので、その状況は理解できる。しかし、これを安易に見逃すと、格闘技やその競技の危険性を助長し、ひいては発展を妨げることになるだろう。やはり大会の成功やその競技の発展には、正しいレフリングは絶対不可欠なのだ。
どの競技でもできる限り安全性を確保する定期的なルール見直しとレフリング技術の継続的な向上は、今後さらに必要だと考える。

後日、記。
2024年11月に行われた大会で、重大な反則行為により怪我をした選手がいた。
全国的に問題視されたこの反則行為。ほんの数秒のことではあるが、様々な問題が表れている。勝利至上主義の弊害、指導者の絶対化による弊害などなど。
我々指導者層・保護者層は大いに反省をしなければならない。自戒を込めて。
※このあたりの私の考えは過去記事に。

怪我をした選手には心よりお見舞いを申し上げます。

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