私は道場生を激しく怒ることはあまりない。しかし、まれに怒る。という話はどこかの記事で書いた。
問題は怒った後。どこの指導者でもそうかもしれないが、怒った後は後味が悪い。『あ~…怒ってしまった…』とちょっと後悔してしまう。なんともメンタルが弱い。
一方、怒られた方の子供。怒られた直後はシュンとしているものの、数分もすればケロっとしてもう遊んでいる。あのメンタルの強さはどこに由来するのか不思議。
競技に必要なメンタル
昨日、私が通っている柔術道場の先生と試合におけるメンタルについて話をした。きっかけは、その前に行われた柔術の大会でのこと、道場の女性の人が決勝で敗北した件だった。
その女性は以前やっていた柔道の技を活かし、それまで連戦連勝。柔術を始めて間もないが、割とすぐ帯が上がった。帯が上がったとはいえ、私の印象だと、その帯でも負け知らずだろうと思っていた。それほどに強い人だ。しかし、敗北した。負けた相手は階級が上で、体重や腕力は相手が上だった。とはいえ、負ける姿は想像ができなかったほどに道場の女性は強い人だった。
そこで先生との話になったわけだが、先生曰く「○○さん(その女性)は攻めている時はいいんだけど、押されている時にメンタルが落ちてしまう。柔術の場合は試合時間が長いので、守るときはきっちり守り切って攻めに転じるメンタルが必要だが、○○さんはそこがまだまだだった」とのこと。空手はそこまで試合時間は長くないが、少し共通する部分はある。
例えば、相手が明らかに自分より突きが強い場合。このような時、内心焦るわけだが、思考を切り替えて相手の嫌がる攻撃や空いている箇所を繰り返し狙って、そこから活路を見出す。または、相手の強い突きを耐えながら、相手が突きを一発放ったら自分は二発・三発と放つ。相手の強さに耐えつつ冷静にディフェンスし、風穴を開けるような攻めを諦めずに繰り返すというメンタルが必要なのだ。
武道と武術の合致
では、どうやればそのメンタルを手に入れることができるのか。もちろん、そんな簡単に手に入れられるはずがないのであるが、“相手の強さに耐える”、“冷静にディフェンスする”という部分にヒントがあるように思う。
この部分は自分との闘い。つまり、武道。
普段の練習から、痛くてもツラくてもキツくても弱音を吐かずにやり通す。基本稽古が面倒でも基本通りに突きや蹴りを打つ。一つの型を何百何千と繰り返す。大きな相手と組手稽古をしても、胸を借りるつもりで恐れずに立ち向かう。それらの繰り返しこそが、強いメンタルを育むのではないだろうか。そしてそれこそが、武道が武術にアジャストする瞬間ではないだろうか。
つまり、武道の稽古で培ったメンタルでもって、難しい対人の試合(武術の試し合い)を乗り越えることこそが、武道と武術の合致ではないだろうか。
武道文化研究者のアレック・バネット氏は次のように述べた。
「稽古のときには、大きい人、強そうな人、上手な人、老若男女、様々な人を相手にする。そのような色々な人と稽古する中で、驚いたり恐れたり、居着いたりすることがあるが、稽古は、どんな人が来ても、どんなことがあっても、どんなことに直面しても、それに対応できる平常心や体を作り上げていくことだと考える」
諦めないメンタル
動画で観た柔術の試合で今も脳裏に残っている試合がある。ある著名な柔術家の方の試合。その方は小柄なのだが、素晴らしいテクニックで数々のタイトルを手にしてきた。
ある大会の無差別級の試合を動画で観たのだが、圧倒的に階級が上(重い体重)の相手と対戦されていた。体重で押し潰され、ポイントを取られていた。残り時間も少なくなり、さすがに無理があったのかと思った瞬間、なんとエスケープして相手をひっくり返し、そこから一本取ってしまったのだ。
体重が圧倒的に上の相手で、しかもポイントを取られて残り時間が少ない状況であれば、もう諦めてもおかしくない。ところが、逆転の一本勝ち。勝ちが決まった瞬間、その方もガッツポーズをし、雄叫びを挙げていた。
なんというすごいメンタルか。本当の競技者とはどんな状況でも諦めないのだろう。
私もちょっとは見習わないといけない…。まぁ試合には出ないけど。
<今日の道場生の一言>
キツい練習であるコンペティションクラスを今後続けるかを道場生たちに聞いた際の女子中学生の反応
「え~…エッヘヘヘヘ((´∀`*))」
ん?聞いてるんですけど?
で、その反応を見た周りの親御さんの反応
『なにその笑い。また闘気塾日記に書かれるよ!』
はい、書きました。