ジュニア期最後の挑戦

ジュニア期最後の挑戦

年長から始めた空手
2024年9月15日、adidasカラテグランプリ宮崎大会が行われ、闘気塾西都から4名が出場した。結果は残念であったが、みんなこの日の為に全力で練習し、そしてその練習の成果を存分に出した、いい大会であった。
この大会を“最後の挑戦”と位置付けたある男子道場生がいる。度々この闘気塾日記にも登場している、現在中学3年生のDだ。

Dは保育園年長の頃から空手を始め、ずっと空手一筋であった。中学生になって友人から部活に誘われても、それを断ってまで空手に打ち込んだD。私は最近、道場生たちの試合の記録を見返したのだが、Dの大会出場数は37回もあった。記録していない大会もあることを考慮すると、50回ほどは出場したのではないか。
そんなDももう中学3年生。そろそろ受験勉強に専念しなければならない時。区切りをつけるため、「最後に全国大会への切符をかけたこの大会に挑戦しよう」と決めていた。

不器用で泣き虫なD
Dが年長さんで空手を始めた際、同じ保育園の友達も同時に何人も闘気塾に入って、道場は動物園状態となった。道場としての闘気塾西都はDたちが入る4年前から存在していたものの、当時は大人だけで活動しており、そこに入ってきたDたちがキッズ第一期生だった。当然、指導者も試行錯誤の連続。そんな状態で試合に強くなるはずがなく、Dたちの最初の大会は惨憺たるものだった。
しかししばらくするとみんなで切磋琢磨しだし、数年後にはDの仲間たちが県内の大会の上位を独占するようになった。そんな中、Dはたまに入賞するものの、なかなか優勝・準優勝にはたどり着かなかった。
Dはもともと器用な方ではなく、当時は泣き虫な男の子。才能あふれ、身体能力にも優れた仲間たちの後塵を拝す立場に甘んじていたのだ。
それでもDは、涙を流しながら居残り練習をし、プライベートレッスンを受け、歯を食いしばって人一倍の努力を重ねてきた。練習に身が入らなかった日、母親に「やめてしまえ」と怒られ、道着を捨てられそうになっても、「イヤだ」と泣き、続けてきた。痛くてもツラくても空手だけは絶対に諦めることはしなかった。“突きを強くする”、“練習通りの動きをする”、などたくさんの課題も乗り越えてきた。

Dの努力がようやく実を結びはじめたのは中学生になってから。中級クラスで優勝・準優勝するなど、もう次のステージに上がるべき時だった。3年生になってからの初戦でも、強化に取り組んできた突きで技有りをとって決勝に進み、決勝では強い相手と互角に打ち合った末に準優勝を決めた。そして最後の挑戦として、9月15日の大会の上級クラスに臨んだ。

互角の戦い
この大会は比較的大きな規模で、Dの出番は午後から。緊張を解くことができない、長い時間を耐え抜く。そして午後、いよいよ試合開始。相手は一緒に練習したこともある知り合い。強い相手だ。
審判の「はじめ!」の合図と同時に、両者一定の距離をサークルして見合う。静かな立ち上がり。瞬間、一気に距離を詰めて攻撃してくる相手と、出遅れたD。昔のDだったらここでズルズルと後退していただろうが、強化してきた下半身が生き、下がらず冷静に相手を見る。
しかし、距離が近いままだと作戦であった下段回し蹴りが当たらない。案の定、Dの下段回し蹴りはミートしない。それでもDは冷静だった。わざと距離を空けた瞬間に得意の左上段回し蹴りを放ち、相手を焦らせる。そして、相手が距離を詰めてくる瞬間のカーフキック狙いに切り替える。このカーフキックがミートし、効いた様子を見せる相手。その後も両者互角の攻防を繰り返し、残り20秒。「最後の課題」として強化に取り組んできたラッシュ。練習を重ねてきた突きの連打で相手を攻めるD。しかし相手も強者。ラッシュは互角となり判定の末、延長戦へ。

延長戦も立ち上がりは静か。そしてまた一気に距離を詰めてくる相手だったが、ここでもDはカーフキックを合わせるも、これはミートしない。両者スタミナを激しく消耗し、体を預け合う場面が増える。延長戦ラッシュ。相手はまた距離を詰め、Dも下がらない。体を預け合う両者。『手が止まったか』と思った瞬間、Dは前から練習していた回り込んでの左上段を放つ。これが相手の顔面をかすめ、『技有りとった!』と思われたが、旗は上がらず。そのままラッシュ勝負を続ける両者だったが、ここで試合終了の合図。フラフラの両者。私は『最後まで攻めたのはD。勝った』と思ったが、判定は1-2で惜敗。最後の挑戦であった全国大会への切符は、無情にもDの手をすり抜けていった。

私は過去最大と言ってもいいほど悔しかった。Dの試合が終わったとき、拳で床を叩いてしまったくらい悔しかった。
でも、私は心のどこかでは少し満足していた。小さい頃はなかなか芽が出なかったDが、“たくさん”という言葉では足りないくらいの努力をし、このステージまで上がってきた。小さい頃は試合で自分の実力を出し切れずよく母親に怒られていたDが、9年間も”自分”を乗り越え続け、その全てを出し切って堂々と強い相手に立ち向かった。そんなDの姿に、私は心から『今までよく頑張った』と思わずにはいられない。おそらくそれは、Dの最大の応援者であった母親も同じだろう。試合直後、Dに駆け寄った母親は涙を流しながらDにこう言葉をかけた。

「よくやったね。自分の気持ちが出てた、いい試合だったよ」

よくやった
ジュニア最後の挑戦を終えたDに「9年間の空手で何を学んだ?何を得た?」と聞いてみたいが、多くを語らないDはおそらく『え…う~ん…』で終わるだろう。せっかくここまで空手を続けたDに「高校生になっても続けたら?」と言ってみたいが、優柔不断なDは『う~ん…どっちでも…』と答えるだけだろう。
でも、Dはそれでいい。多くを語らなくても優柔不断でも、そして高校で別競技を始めたとしても、空手にだけは9年間も全力で、正直に、真っ直ぐに向き合ってきた事実がある。その事実があれば、Dの人生は道を誤ることはないだろうと確信している。
現時点でDが高校生になって空手を続けるか辞めるかは不明。でも、Dが9年間も空手に打ち込んできた証はいつか渡したいと考えている。

D、よく頑張った。