以前の投稿で指導員の役割について考察した。その中で、『道場生に「○○の型を教えてください」と言われて「その型は知らない」では、なんとも心もとない』ということを書いた。
今日の投稿では、私自身がその心もとない指導を行っているという自虐記事を。
型好きな中学生
当道場の男子中学生ダイキ。どちらかというと組手より型が好きで、小学6年生の時点でフルコンタクト空手の型はやり尽くした。
それはつまり、私が教えられる型はもうないということ。それでどうしているかというと、“伝統系空手の形(型)を練習している”。
闘気塾の甲斐清貴塾長も私も、伝統系空手の形(型)が結構好きでよく見ている。
伝統系空手の形(型)はやはり素晴らしい。難しい動きをものすごいスピードで表現し、尚且つ、そこに気迫を込めて演武する。相当な身体能力・鍛錬・精神力を要するのが分かる。
ダイキは中学生からそれに挑戦し、稽古している。
下地はあった。ダイキの先輩たち(現在高校生で、高校に上がる時に道場を卒業した人達)が、同じく中学生の時に伝統系空手の先生に師事し、伝統系空手の立ち方から形(型)を教えていただいたことがあった。
それは、あくまでも中体連の大会に出るためのものであったが、その基礎をダイキが受け継いだ。が、もちろんそれだけでは全く足りない。
「やる気があるなら、伝統系空手の先生に教えてもらった方がいい」と勧めたこともあったが、なぜかダイキは頑なにうちの道場で練習することを選択した。
自分の客観的な眼を育てる
うちの道場で練習するといっても、私は伝統系空手の形(型)はできない。私にできる事と言えば、教則本を購入して共有することくらい。かと言って、ダイキ一人だけでは限界は早々に訪れる。
私が先に練習して形(型)を極めてダイキに教えるというのも、時間がかかり過ぎて現実的ではない。
そこで私が選択した方法が、自分の“客観的な眼”を向上させること。
動画でトップ選手の形(型)をたくさん観て、トップ選手の動き、表情、集中力を勉強し、それに比べてダイキの形(型)がどうかという観点でアドバイスする。
自分ができないので、明確に「ここの立ち方がどうだ」とか「ここの動きはもっとこうすべきだ」と言うことはできないが、「トップ選手がこうしていたから、ここはもっとこうした方がいいんじゃない?知らんけど」と言うことはできる。
ダイキの努力と私の客観視。これで共に一つの形(型)を作り上げていく。無責任な感じかもしれないが、現時点ではこのやり方がベターかと。
そうしてできた形(型)で、実際に大会で何度か優勝したし、中体連では惜しくも決勝進出を逃したが、十分通用することを証明もした。
もちろん、これはダイキ本人の努力があってこそのこと。
最適な練習環境を提供できないのには申し訳ない気持ちが多分にあるが、「こうした方がいいんじゃね?知らんけど」で共に練習し、共に一つの形(型)を完成させていこうと思う。