ダラばな:稽古前に行う黙想・瞑想の話

ダラばな:稽古前に行う黙想・瞑想の話

多くの武道や道場で稽古前に黙想を行う。精神を統一し、集中して稽古に臨むという目的がある。もちろん、闘気塾も稽古前と後に行っている。
武道以外では宗教でも黙想や瞑想が行われる。仏教はもちろん、キリスト教やイスラム教にもあるらしい。
カトリック系のキリスト教会には黙想会なるものがあるらしく、教皇の講和では、『キリスト者にとって、「黙想する」ことは、すべての意味を追求することです。~中略~ わたしたちは皆、黙想し、考え、自分自身を見いださなければなりません。それが人間の営みです。とくに欲望の尽きることのない西欧社会では、日々のストレスや、蔓延する空虚感から自分を守ってくれるものとして、黙想が追求されています』とある。

仏教では禅として瞑想が行われる。禅といえば禅宗や曹洞宗が思い浮かぶが、すべての宗派で行われる。釈迦が悟りを得た時の修行方法であるし、なんなら仏教が開闢される以前からあるらしい。
欧米では昨今、“マインドフルネス”としてビジネスマンを中心に瞑想が行われているが、マインドフルネスは禅を契機として生まれたとのこと(鈴木大拙氏が禅文化を欧米に広めた)。
とはいえ、禅とマインドフルネスは似て非なるものらしい。
マインドフルネスは、ストレスや痛みの軽減、心の安定化や想像力の向上などを目的としているが、禅は、自分が今どうであるかを見つめ、自分とは何かを冷静かつ客観的に判断することを目的としているらしい。

このように黙想・瞑想は結構身近にあるものだが、実際には稽古の時に黙想をするくらいしかやったことない。
まぁ子供達もいるので、まずは“心を鎮めてできるだけ稽古に集中する”という目的が正解と今のところ思っている。
いや待てよ。黙想してもあまり集中できていないような…やはり修行が必要か。

あ、宗教の話も出しましたが私は宗教者ではないし、闘気塾は宗教団体ではありませんので誤解なきよう。