妻との議論集:習い事教室の意義

妻との議論集:習い事教室の意義

私は釣りに憧れる。そして実際に挑戦もした。
道具も初心者用のものを買って、針や糸の付け方もネットで調べたりしながら準備した。
そして釣りの基礎知識も何もなく、いきなり海に行って糸を垂らした。
その結果…今まで一度も釣れたことがない。
やはりズブの素人が一から一人でやるのは無理がある。
初心者は釣り好きな人に一緒に行ってもらうべきである。

ある晩の議論
妻とは夕食時によく色々な議論をする。ある晩、妻から振られた議題はこうであった。

『料理教室に行く人って、何の目的で行くのか。料理教室に通うメリットは何か』

あ、決して”料理教室に行く人が理解できない”という意味ではなく、純粋に”料理教室では何が得られるのだろう”、”料理教室はどんなことを提供してくれるのか”という意味。
この場を使って恐縮ではあるが、私自身の考えを整理するためにここからの話の経緯を綴る。
前提として、妻も私も料理は素人であること、そして、あくまで素人考えの世間話程度の議論であることはご了解いただきたい。

議論の流れはこうであった。

私「きちんとした知識や経験がある人が教える”料理の基礎”が学べるなら、行く価値があるような気がします」
妻『それは何故か。100字程度で答えよ』
私「格闘技でもそうですが、レッスンの最初は基礎的なことを必ず行います。私は若い頃はそれが苦手でありましたが、曲がりなりにも経験を重ねて技術が向上すると、基礎技術の意味が少し分かるようになりました」
妻『あと100字の追加を許可致す。掘り下げて答えよ』
私「どれだけ組手やスパーリングのレベルが上がっても、基礎的な技術というのはずっと使えます。また、難易度の高い技や連携の中にも基礎的な技術が入っている事が多いです。そのため、基礎を会得する目的であれば通う価値はあると考えます」
妻『今のは10字程度オーバーしているので回答としては不可であるが、言わんとすることは理解した。大儀である。下がってよろしい』
私「はっ」サササッ

苦手でも続ければ見えるものがある
習い事を始めたばかりの頃や若い頃などは基礎的な稽古が苦手になりがちで、より実践的な練習ばかりをやりたがる傾向がある。私もそうであった。
それもそのはず。基礎的な技術が実践の役に立つかどうかピンと来ないから。
しかし、自分の技術レベルが向上すると、ふと気づくことがある。

”こんなシチュエーションで使える”
”あの難しい技、結局基礎のあれを使ってる”

そして、これはどんな分野でも言えるのかもしれないが、新しい技術や新しい価値は何もないところからいきなり生まれるわけではなく、”すでにある技術”や”先端技術だがまだ世に出ていない技術”の組み合わせでできている事が多い。
格闘技でも料理でも同じことが言えるような気がしている。
そんな風に技術に対する解像度が上がると、基礎的な技術に対する考えが変わってくるし、習い事に対する見方もちょっと変わってくる…のかもしれない。

さて、今日も練習。基礎稽古から大事にやっていこうかな。
押忍。