武道の『武』
かなり前、道場の仲間がこんなことを言った。
「武道の『武』という漢字は、『戈(ほこ)を止める』と書く。だから武道を学ぶ者は武力を用いない」
当時は「へ~」と思ったが、後年、『武』の漢字の成り立ちを調べると…全く逆だった(笑)
『武』という漢字は、どうも『兵士が勇んで行軍している様』が成り立ちらしい。めっちゃやる気満々の武力!
まぁただ、「武道を学ぶ者は武力を用いない」という部分は結構当たっていると思う。
言葉を付け加えるならば「武道を学ぶ者は、”自分からは”武力を用いない」ということになるかと。(※例外的な勘違いさんは世界のどこかにいるかも)
武道・武術を学ぶ人は、普段から練習でそういうことをやっているので、例えば街で”自分から”武力や暴力を使うことはない。
しかし、”自分から”武力を用いることはなくても、暴漢や変な人から襲われたりからまれたりするケースはあるかもしれない。
そういったとっさの時に武道・武術は役に立つのだろうか。
とっさの『武』
明治維新の功労者にして、自由民権運動の先駆者・板垣退助氏。
板垣氏は遊説先の岐阜において暴漢に襲われた。いわゆる岐阜事件。
暴漢は短刀で板垣氏の左胸を刺したが、板垣氏は体得していた柔術の打撃(肘打ち)で反撃。
暴漢は怯んだものの、さらに襲わんとする。板垣氏が暴漢の攻撃を防ごうともみ合っている間に、周りの人達が助けに来たとのこと。
結果、板垣氏は一命を取り留めた。
板垣氏は戊辰戦争を最前線でくぐり抜けてきた人だから、暴漢に負けない胆力も相当あっただろうし、なによりとっさに出た武術の技が命を救ったのだろう。
もう少し身近な例を。
当道場の指導員が仲間たちと会食を行っていた。すると、近くで飲食していた男二人が酔った勢いでからんできた。
指導員は懸命になだめようとするが、男たちは収まらない。そしてあろうことか、指導員に突然殴りかかってきた。
指導員はその攻撃をひょいとかわし、相手を倒して押さえつけて事なきを得た。
その指導員は、空手だけではなくキックボクシングや柔術もやり、定期的に試合にも出場する有望株。
「素人のパンチは丸見えだった』という言葉が印象的であった。
心構えが大事
こういった事から、普段から武道・武術に励む人は”とっさの事態にも対応する”という事が言えると思う。
しかし、言わずもがなだが、”あるレベルに達している人”に限るだろう。
一般の方々や私のような中途半端な人ではこうはいくまい。
一般の方々は、護身術の基本『君子、危うきに近寄らず』と『三十六計逃げるに如かず』を忘れずに。
そして私は『百芸達して一心足らず』にならない心構えを。
<今日の道場生のひと言>
組手練習中に練習相手とヒソヒソ「(先生が来た…先生が来た)」
来たら悪いんかい(笑)