”負け”を知る

”負け”を知る

勝つ者は追われる
人に追われたことがあるだろうか。
私は…犬に追われたことならある。子供のころに。
今考えれば、犬は遊ぼうとしてはしゃいでいるだけだったが、子供の私は恐怖だった。
追われるのは、小岩。もとい。怖い。

当道場に、試合に積極的に出場する女子道場生がいる。
持ち前の負けず嫌いを発揮して、小さい時から様々な大会で優勝してきた。
多分、家には飾り切れないほどの賞状やトロフィーがある(家の中を見たことないけど(笑))。
どれだけ調子が悪くても、本番になればスイッチを入れて果敢に攻めるスタイルで勝利を量産し、地域ではちょっと知られた選手に成長した。

その道場生がある時、今まで負けたことのないライバルに、負けた。

どの競技でもそうだろうが、勝利を重ねる者は”追われる”。
”追う”選手は相手を研究し、弱点を探し練習を繰り返す。差が縮む。そしてその先に、逆転がある。

負けた時、その道場生は泣いた。声をあげて泣きに泣いた。
私も当然悔しい。もらい泣きしそうになった。しかし、どこかで嬉しさもあった。
身近にその道場生の存在を脅かす選手がいなくなることを危惧していたから。

敗北は成長の機会
負けず嫌いほど、身近に切磋琢磨する相手がいると成長する。
それは、技量の成長も当然ながら、人間性の成長にも同じことが言える。
子供は負けからの成長の仕方をまだ知らないことが多いので、親や周りのサポートを受けながら成長する。
そうしたプロセスを経て、自分の環境が自分一人で成り立っているわけではないことを知るし、自分は一人で成長しているわけではないことを知る。
そしてまた次の勝利に向けてリスタートする。無事に次の勝利を得た際には、周りへの感謝の念を持ち、また成長するだろう。

”負け”というのは色々な成長の機会を与えてくれる。しかし子供の場合は周りのサポートが必須。
本人の自覚と周りのサポートがあって初めて”負け”が成長の糧になる。

”負け”を単なる”負け”で終わらせない。貴重な人生の勉強。

私は、怖い思いもしたが今でも犬は好きだ。