指導者による体罰や暴言のニュースを未だによく見聞きする。
それはおそらく、その指導者に“このやり方で実績を残してきた”とか“自分も先生や先輩からそうされてきたから”とか、そういう背景があるのだと思う。
実際、体罰事件を起こした指導者は「チームを強くしたくて」「試合に勝たせてあげたくて」と言うようだ。
言葉はもっともらしいが、違和感を覚える。
“生徒たちの試合の結果を指導者本人の目標にしてしまっているのではないか”という違和感。
空手の大会でも、そう思わせる指導者の姿を見かけることがある。
選手のセコンドにいた指導者が、判定が出る前に「負けだ」と判断して退場する選手を迎えることなくプイっといなくなるような姿。
また、大会会場の隅で選手を怒鳴る姿も見る。
直近では、極めて厳しい指導を行い、子供が対人恐怖症に陥って学校に通うのも怖くなった話も聞いた。
他に空手以外の競技でも、見込みのある選手にだけ指導を熱心に行い、その他の選手の指導をおろそかにする指導者や、練習前に酒類を飲んで稽古場に来る指導者など、耳を疑う話を幾度となく聞いたことがある。
そういう姿を見聞きする度に指導者の役割について考える。
『大会でいい成績を残すのが指導者の仕事なのか?』
『常に竹刀を持って子供を脅しながら指導するのが本当の指導なのか?』
空手は、子供達を相手にする時には”武道教育”だと考える。
また、他のスポーツにおいても同様に、スポーツを通した教育であるはず。
生徒が指導者の機嫌を窺ったり、親の顔色を見ながら練習するのは違う。
生徒自らが目標を持ち、そこに向かって自発的に努力をし、時には泣き、時には笑いながらその競技を心から楽しむ。そして人間的に成長していく。
それこそが武道やスポーツを通した教育ではないだろうか。
指導者の役割は、生徒に寄り添い、一緒に考え、一緒に練習し、共に競技を楽しみながら人間的成長を促すことではないだろうか。
と、自分自身の肝に銘じるために書いてみた。